「そのままのあたなでいい」という言葉が苦手
「そのままでいい」「生きてるだけで十分」
この類の言葉が私は昔から苦手だった。うまく説明できないけれど、こうした言葉を受けるとなんとなく心がかき乱されるのを感じていた。
でも世の中的にはこうした言葉は広く受け入れられている。
だからいつも、「きっと私が捻くれているからだろう」と自分を納得させていた。
でも最近になって、その違和感の正体がようやく少し見えてきた気がする。
私がこうした言葉にある種の嫌悪感を覚えるのは、本質的に「無責任」だからなのだと思う。
「そのままでいい」と言った人は、言ったあと私の人生に責任を持つわけじゃない。明日、一週間、来年、そして死ぬまで私が同じ場所で動けないままだったとしても、言った側には関係ない。というより覚えてもいないだろう。(「優しい言葉をかけた」という満足感だけは残っているかもしれないけれど)
私がなにを言いたいかというと、「そのままでいい」「生きてるだけで十分」といった優しい言葉は、動けない時期を生き延びるためのものであって、人生を好転させるアドバイスには決してならないということ。
私は社会のレールから大きく外れてしまった人間で、双極性障害は寛解したり再発したりをくり返しているし、愛着の問題も未解決のまま。だからこそ、優しい言葉に縋ってしまう人の気持ちはよく分かる。
私自身がこうした言葉に救われた瞬間も、これまでの人生の中で何度もあったと思う。(特に10代の頃は。)
でも、優しい言葉にすがっているだけじゃ人生はなにも好転しない。年齢を重ねるなかで、自分自身の問題と向き合うことに目を背けていては、いつか生きていけなくなる。
優しい言葉は私を立ち止まらせはするけど、前に動かしてはくれない。
「そのままでいい」「生きてるだけで十分」は救いの言葉であると同時に、私の人生を停滞させる言葉。だから居心地が悪かったのだと思う。
こんな簡単なことに気がつくのに、ずいぶん時間がかかった。