蛍の手帖

消えた価値観、生まれる価値観 ⑤

前回

⇒ もう全部どうでもよかった ④

正直、会社を辞めてからのことはほとんど覚えていない。

幸い、少しの蓄えはあった。だから会社を辞めたからといって、すぐに住む家を失ったり、生活そのものが破綻したりすることはなかった。

むしろ、破綻していた方がよかったのかもしれない。生活は荒れに荒れた。

酒と処方された薬に頼りながら一日のほとんどを過ごして、寝ているのか起きているのかもよく分からない状態が続いた。20代後半にもなって、やっていることはトー横でODしている子供たちと大差なかった。

「金が尽きたら死のう」

そんなことだけを考えて毎日を過ごしていた。

そして、実際にそのための準備も少しずつ進めていた。身体が動く時に身の回りのものを捨てていって、最後の方には布団と小さな机、それからパソコンくらいしか部屋に残っていなかったと思う。

でも、私の死への準備はひょんなことから姉に気づかれた。

明らかに普通ではない私の様子を見て、姉はことの重大さに気づいたらしい。そして私の状況をすべて親に話した。

そのあと家族の間でどんな話し合いがあったのか私は知らない。私は家族LINEからも抜けていたし、親からの連絡もすべてブロックしていたから。

しばらくして、姉から今住んでいる家を引き払って実家に戻るよう言われた。

当然、私は拒否した。ここまで散々実家から離れようとしてきたのに、最後の最後でまたあの家に戻るなんて考えられなかった。実家に戻るくらいなら死んだ方がマシだと思った。

というか、そもそもそのつもりで準備をしていたのだから。

でも今になって考えると、だからこそ姉は意地でも私を実家へ戻そうとしたのだと思う。

姉は、

「大丈夫だから」
「ちゃんと説明したから」

と繰り返し私に言った。

何が大丈夫なのかはよく分からなかったが、最終的に私はその言葉を渋々受け入れた。

こうして私は、一人暮らしをしていた家を引き払い実家へ戻ることになった。ちなみに姉は実家には住んでいない。つまり、父親と母親と私の三人暮らしである。

実家に戻ってみると、確かに以前の親ではなかった。

家の空気そのものが妙によそよそしくて、親は私に何かを言うでもなく、むしろ私の機嫌をうかがうような妙な優しさすらあった。

姉の言ったことは本当だった。これ以降、今日に至るまで親が私の人生について何かを言ってくることはなくなった。

もっとも、私自身も「今度また同じようなことを言われたら、自分が何をするか分からない」という旨を前もって姉経由で伝えていたので、それもあったのかもしれない。

まったくもって、遅すぎる反抗期だと自分でも思う。

実は、実家に戻って最初に苦労したのは、親との生活そのものではなかった。それまでの荒れた生活をやめた反動で、私は酒や薬の離脱症状にかなり苦しんだ。すべて自業自得だけれど。

それが落ち着いてからは、ひたすら本を読んでいたと思う。家族のことを考えたり、自分がこれまでやってきたことを振り返ったり、昔の友人に連絡を取ったりもした。

とにかく一度、自分の人生を考え直したかったのだと思う。少しずつ思考力が戻ってくる中で、これまでのことを何度も考えた。病気のこと、仕事のこと、家のこと。

その中で、双極性障害を誤魔化して人生を考えることは、私にはもうできないなと思った。会社員に戻れば、また突然働けなくなって周りに迷惑をかける。それは間違いなかった。

大学生の頃からずっと、私は会社員として働くことに囚われていた。会社員として働くこと。名の知れた会社に所属すること。

それがまともに社会の中で生きることなのだという、親から与えられた価値観をずっと捨てられずにいた。でも、流石にもういいかなと思った。

皮肉にも、実家に戻ってきて私はようやく、親の価値観と別の人生を考えられるようになった。

続き(最後)

⇒ 自由に生きると決めた ⑥