蛍の手帖

働いては壊れの繰り返し ③

前回

⇒ 短期離職 ②

私は勢いのまま転職した。

採用されたのは客先常駐型のSES企業だった。立場上は正社員だが、実際にはプロジェクトごとに各地の客先へ派遣される。いわゆるIT土方と呼ばれるような働き方だ。

とはいえ、当時の私にはエンジニアとしての知識がなかった。

だから最初は資格の勉強から始まった。いくつかコースがあったように思うが、私が勉強することになったのはネットワーク系の資格だった。

資格自体は1ヶ月ほどで取得できて、その後なんやかんやあって無事に客先へ派遣された。

そこでの仕事は、なんというか、特別な知識を必要とするようなものではなかった。ログを取得して、Excelに転記して、それを報告する。定常作業と呼ばれる、そういう単純作業の繰り返しだった。

人によってはこの環境に退屈だとか、やりがいがないとか、そういう悩みを持つのだと思う。でもそんなことは私にはどうでもよかった。

私にとってラッキーだったのは、ここには高圧的な人がいなかったことだ。上司も同僚も良く言えば穏やか、悪く言えば他人にあまり興味がない人たちだった。

確か実家を出たのもこの頃だった。結局、その現場には1年半ほどいたと思う。

その間に多少難しいとされるIT資格もいくつか追加で取った。今ではもう勉強した内容はほとんど覚えていないけれど。

正直な話、この業界の仕事そのものが自分に向いていたのかは、今でもよく分かっていない。

でも、専門知識を一つずつ増やしていくことそのものは、かなり自分の性に合っていたと今になって思う。それが分かったことが、この時期に得たものの中で一番の財産なのかもしれない。

話を戻そうと思う。

「その現場に1年半ほどいた」と書いたが、これはIT土方あるあるの、急な現場移動が理由ではない。

私は会社そのものを辞めた。

理由はシンプルで、持病の双極性障害が悪化したからだ。

ここまで詳しく書いていなかったが、私は大学生の頃から通院を続けていて、基本的には薬で症状をコントロールしていた。ただ、この時期に限界が来た。

そして、ここから約2年間。私は派遣社員と無職を行き来することになる。

派遣社員を選んだのは、自分の体調が読めなかったことと、少ないながらITの知識や資格を身に着けたことで、比較的仕事を見つけやすかったからだ。

働けたとしても長くは続かない。住む家、今日の食事を守るために、2〜3ヶ月働いてはまた体調を崩し、数ヶ月休む。その繰り返しだった。

いくつかの派遣会社からは出禁勧告を受けた。当然だ。突然出社しなくなる危険人材なんて、どこだって雇いたくない。

でもその間も治療は続け、ようやく寛解といえるところまで体調は戻った。

…書いていて思ったが、このへんで「そもそも会社員が向いていない」と気づいてもよさそうなものだけど、まあいい。

なんにせよ、それでも私はまだ社会の中で生きることを諦めていなかった。

会社員として働くこと。
名のしれた会社に所属すること。

それが「まともに社会の中で生きること」だという、親から植え付けられた価値観から、私はまだ抜け出せていなかった。

そして私は再び転職活動を始めた。

続き

⇒ 全部どうでもよかった ④